不定愁訴症候群の一症例  鈴木 敏弘


Ⅰ はじめに
 これまで私が報告してきた内容は、腰下肢や股関節周囲に関連する症例、刺鍼法に関連する研究など、運動器に関連する報告が多かったように思われる。
 ところが、次のインタビュー記事を読み、考えさせられるものがあった。「患者を作るとは?全身治療ができることと岡田氏はいう。『経営の安定化にはリ ピーターの存在が欠かせず、痛みや運動器の治療だけではリピーター獲得はありえません。定期的に来院してくれる患者さんは、全身的症状がある患者さん、大 病した患者さんであり、そういう人が、何年も来てくれます。そのため全身治療こそが大切なのです。』」というものである。
 なかなか自分の治療スタイルを変えることは難しいと思うが、上記のインタビュー記事に触れ、少し自分の治療スタイルを変えてみようというきっかけとなった。そんなときに、全身症状を有する症例に出会うことができたので、この機会に報告したい。


Ⅱ 不定愁訴症候群とは
1 不定愁訴とは
 不定愁訴とは、器質的疾患はないにもかかわらず、様々な身体症状(各症状は以下記載の「表」を参照)を訴えるものをいう。不定愁訴という言葉は曖昧で明確な概念はなく、臨床的に心身の不調、主に自律神経症状を表す機能的な病態とみられている。
 しかし、不定愁訴の背後には身体疾患や精神疾患が存在することもあり、適切な病態把握が必要である。

2 不定愁訴の症状
 不定愁訴の症状は、様々で身体的愁訴が中心である。身体的愁訴は自律神経症状が中心であるが、自律神経機能に異常がある場合とそうでない場合がある。
 愁訴の特徴は、①人によって現れる症状は異なる、②複数の症状が同時に現れこれらの症状には関連がない、③症状は不安定で消長しやすく質的量的に変化しやすい、④訴えは主観的で客観的所見に乏しい、⑤訴えは強く多彩であるなどである。

表1.不定愁訴の症状
全身的:全身倦怠感、易疲労感、ふらつき感、めまい感など
神経・筋骨格系:頭痛、頭重感、肩こり、腰背痛、しびれ感、振戦など
循環器系:のぼせ、動悸、胸痛、四肢冷感・熱感など
呼吸器系:呼吸促拍、息切れ、息苦しさ、咳など
消化器系:食欲不振、口渇、悪心・嘔吐、腹痛、胃部不快感・腹部膨満感、便秘、下痢など
眼科耳鼻科系:耳鳴、眼精疲労、喉頭閉塞・異物感など
皮膚科系:発汗、寝汗、かゆみ、乾燥など
泌尿生殖器系:頻尿、排尿困難、勃起障害、月経障害など
精神症状:睡眠障害、不安、緊張、焦燥感、抑うつ、集中力低下、意欲低下、記銘力低下など

3 不定愁訴をきたす主な疾患の病態と症状の特徴
 日常の臨床で遭遇する不定愁訴を生じやすい疾患は、月経前症候群や更年期障害などで女性のライフスタイルに関する障害、心身症や神経症などの心因性精神障害などが代表的である。
 ここでは、被験者が該当しそうなものについて記す。
1.神経症
 神経症の定義では、「心因(心理的ストレス)によって起こる非器質的で機能的な精神的身体的障害」とされている。神経症とは病名ではなく、その発症や経過に心理的ストレスが強くかかった非器質的で機能的な病態を示している。
(1)全般性不安障害
 漠然とした不安感が、少なくとも数週間から数カ月継続する。そわそわした落ち着きのなさや緊張型頭痛などの運動性緊張、発汗や頻脈などの自律神経亢進状態を呈し、不安や思い過ごし、不眠、集中困難などの症状を呈する。女性が多く、しばしば慢性のストレスと関係している。

4 東洋医学からみた不定愁訴
 東洋医学からみた不定愁訴は、病態と病因により病証は異なるので、その病態や病因から弁証することが必要である。
 しかし、不定愁訴の特徴である症状は不安定で消長しやすく、質的量的に変化しやすい。訴えは強く多彩であり、心理的要因やストレスが背景にある。もともと神経質な性格な人が多いことを考えると、気血津液弁証では気滞、臓腑弁証では肝の病証が中心になる。
 気滞の特徴:症状は張った感じを伴った疼痛、症状発現部位は遊走性、症状は断続的に増強・減弱する。
 肝の病証の特徴:肝の生理機能の疏泄を主るとは、気の流れを整え、身体各部での生理機能が順調に発揮できるようにする。また、感情や情動などの精神活動を伸びやかにする。

5 東洋医学的な鍼灸治療
 基本的には病証に応じた鍼灸治療を行う。不定愁訴を東洋医学的に診察すると肝を中心とした病証となる場合が多い。よくみられる病証として、肝欝気滞(肝気鬱結)や肝陽の変動にかかわる病証である。
 気滞に対しては疏肝理気(気の滞りを解消し気の作用を円滑にする)を目的に、合谷、足三里、太衝に治療を行う。気滞は実証であることから合谷、太衝には瀉法で行う。
 また、気滞による症状の特色は遊走性で変化しやすいため、症状発生部位の反応点(圧痛・硬結など)として加える。例えば、張ったような遊走性の痛みには疼痛部位の圧痛や硬結を指標として治療を行い、気の流れを良くする。
 また、感情や情動に関わる精神愁訴には、合谷、肝兪、太衝に加えて百会(四神聡)へ刺鍼する。


Ⅲ 症例報告
1 被験者情報
 これまで被験者は、本施設で長きにわたり治療を受けてきた。ところが、今回出現した症状は初めてのことであり、各症状が持続的または間欠的に出現したり消退したり多岐にわたることが多い。
 被験者が訴える症状は、発汗・寝汗、肩こり、喉頭閉塞・異物感、咳、胃部不快感・腹部膨満感、不安、意欲低下などである。

表2.被験者の基本情報
G・K 女性 79歳
身長:150cm、体重:47kg
主訴:全身倦怠感
評価:不定愁訴症候群

1.現病歴
 平成31年1月下旬頃より一ヶ月間、微熱・寒気・全身倦怠感を感じ、咳込むことが多かった。心配になり、近医にて検査をしたところ、特に問題となるもの はないとの診断を受け、安心していた。ところが、4月中旬から5月上旬まで再び同じ症状が続くようになり、寝込むことが多くなった。
2.自覚症状
 1日を通して微熱と寒気がある。それに伴い、全身倦怠感がある。
 喉頭部のつまった感じと空咳。
 胃部の不快感が続いている。
 膝蓋骨周囲の痛みと違和感。
 頸から肩背部のこり感。
3.他覚症状
 筋緊張:僧帽筋上部・中部線維、肩甲挙筋、背部起立筋
 圧痛、硬結:肩井、肩中兪、肩外兪、肺兪、魄戸、膏肓、膝蓋骨周囲の圧痛部複数、鵞足部

2 背景
 治療を続けると、患者からいろいろな話しを聞くことが多いが、被験者がこれまで数多く訴えてきたことをまとめてみると、三つの内容に分けられる。
1.10年程前に、騒音や人間関係などの住民トラブルに巻き込まれ、自宅にいられないという不安感に陥ったことを数多く体験している。
2.息子さんの離婚がきっかけとなり、息子さんの将来に対する不安を抱いている。
3.被験者本人には数多くの持病があり、体調不良が重なると医療機関を受診し、数多くの検査を受けている。結果は、該当する疾患はないと医師から説明を受けてもまだ疾患があるのではと感じている。

3 治療方針と経過
 平成31年4月19日(64回目)~令和元年11月19日(74回目)の11回実施している。
1.治療方針
 上記の「東洋医学的な鍼灸治療」を参考にして病証を考えると、肝欝気滞(肝気鬱結)に該当するのではないかと判断した。根拠として、被験者が訴える症状が上記の「表1」に一致するものが多数あるからである。
 気滞に対しては疏肝理気(気の滞りを解消し気の作用を円滑にする)を目的に、実証であることから合谷、太衝には瀉法を用いる。また、被験者は、慢性的に胃部不快感を訴えており、それに対する灸も加える。
 基本的に治療穴を変えず治療する。
 ホットパック:頸、腰
 鍼:百会、合谷、足三里、太衝(1寸、0.14mm)
 ※合谷、太衝は瀉法
 旋撚補瀉の手技
 補法:気を集める、90°以内の範囲で1分間に120回の刺激
 瀉法:気を散らす・通す、180~360°の範囲で1分間に60回の刺激
 灸(せんねん灸 竹生島):胃の六灸(膈兪、肝兪、脾兪)、各1壮
 あん摩:頚肩背腰部、四肢
2.愁訴の経過
 被験者から問診をし、訴えたものを優先順位をつけて記す。
(1)微熱と寒気
 4月中旬から5月上旬まで微熱と寒気が続くようになり、寝込むことが多くなった。微熱は終日続いていたが、5月中旬頃より、発熱期と平熱期が交互に発症 するようになった。5月末頃には、発熱期はかなり少なくなり、日に1時間程度の微熱期が出現するようになり、寝込むことは減ってきた。その状態が7月末ま で続くようになり、8月上旬には、続いていた微熱は消失するようになった。
(2)喉頭閉塞・異物感
 喉頭部の異物感・閉塞感・空咳は、今回の症状が発現する以前より出現していた。ところが、これらの症状が強くなり吸入と消毒のため1週間に1回、計20回ほど耳鼻科に通院している(耳鼻科では喉頭炎と診断)。
 喉頭部の異物感は、東洋医学では梅核気といわれ、肝の特徴的な症状である。この症状が消失することはなく、大きく変化することはなかった。
 また、咳も空咳のようなもので、治療を続けてからご主人からは少し咳が良くなったのではと言われることが多くなった。
(3)胃部不快感
 慢性的に胃部不快感を訴えており、胸焼けや重だるさなど様々である。年に1度、胃カメラ検査をしているが、食道や胃の異常所見はないと診断されている。
 背部への灸は初めてのことと訴えていたため、平成30年7月から継続的に施灸を続けた。4~5回続けたころから症状の浮き沈みがあるが、薄皮を剥がすように軽快に向かっていることを被験者は自覚している様子であった。
(4)肩背部のこり
 慢性的に肩背部のこりを訴えている。特に刺鍼をせず、あん摩を中心に、被験者が訴える部位に対して行ってきた。肩背部のこりは強いが、治療後は毎回楽になったと訴えている。

4 考察
 西洋医学で考えると、自律神経支配は、四肢は交感神経支配優位、体幹は副交感神経支配優位とされている。体温調整は汗腺と立毛筋の働きによるものであ り、いずれも交感神経支配となっている。また、トリガーポイント(TP)の考えでは、TPの決定に必要な要素の項目に、局所単収縮反応(LTR)の他に自 律神経反応(立毛筋・発汗)が挙げられている。
 左合谷と太衝は、鍼をする都度局所単収縮反応がみられていたため、四肢への刺鍼(合谷、足三里、太衝)は交感神経の働きを抑制に傾けたのではないかと考えている。
 東洋医学で考えると、肝鬱気滞(肝気鬱結)として証をたて、瀉法を必要な経穴に施した。うっ滞していた肝気が通ったことによって、微熱と寒気は消褪していき、軽快したのではないかと考えている。
 被験者は女性であるため、腹部を出しづらい面もあることから治療部位は背部を選んだ。胃の六灸は優れた診断治療法だが、背部の兪穴から患者の身体に現れ ている治療穴を探すことこそが最も効果的にいかす方法であるとされている(深谷)。胃部の不快感が軽快に向かったのは、体性ー内臓反射によるものと考えて いる。
 当初は、証をたてず自律神経の調整を考えながら治療を進めてきたが、肝鬱気滞の証の症状を確認すると、被験者に一致するものが数多くあった。そのため、肝欝気滞と自律神経の調整は、東西での見方は異なるが一致した治療法ではないかと考えている。

5 被験者の声
 当初、被験者は鍼が苦手であった。ところが、近所の治療院で今回発症した症状を相談し、本施設で鍼治療を希望するようになった。今では、鍼治療を積極的に受け入れ、心と体の安定のためにも鍼治療を定期的に受けることを希望している。


Ⅳ おわりに
 本症例の治療期間中に、当センターにて中医鍼灸に関連する講座が開催され、その中で、講師の先生の補瀉の手技に触れ、今回の症例に取り入れてみようという気になり、実践してみた。
 いろいろなきっかけが自分を変え、患者や症状に応じた柔軟性のある治療法を身に付けて、それらを患者に提供できることこそが大切であると感じた。これからも研修等に参加し新たな知識や技術を身に付け、日々研鑽を積んでいきたいと考えている。


《引用・参考文献》
1)矢野忠編集主幹(福田文彦):図解鍼灸療法ガイド~鍼灸臨床の場で必ず役立つ実践のすべて第2巻、文光堂、2012
2)医道の日本社編集部編:取材してわかった 成功治療院の作り方~経営からすぐに取り入れられるテクニックまで、医道の日本社、2013
3)河原保裕:中医鍼灸をはじめよう!~診察から治療の進め方~、北海道札幌視覚支援学校附属理療研修センター 第5回東洋医学講座資料、2019
4)入江靖二編:図説深谷灸法~臨床の神髄と新技術、緑書房、1980
5)伊藤和憲:はじめてのトリガーポイント鍼治療、医道の日本社、2009



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