腰殿部痛に対する理療治療の一症例 古川 美奈Ⅰ はじめに 腰殿部痛がみられる疾患には、腰椎椎間板ヘルニア、椎間関節性腰痛、腰椎すべり症など様々なものがある。今回は、腰椎すべり症と診断されたが、仙腸関節障害の可能性も考えられる慢性的な腰殿部痛を主訴とする患者について報告する。 Ⅱ 腰椎すべり症 腰椎すべり症は、大きく分けて、分離すべり症と変性すべり症とがある。脊椎分離とは、椎弓の上下の関節突起部に離 断が起こっている状態である。分離した椎体が前方にすべっている状態を分離・すべりといい、この結果、症状が出ているものを分離すべり症という。一方、変 性すべり症は、明らかな原因は不明だが、多くは加齢により椎間板や靱帯、関節など腰椎を固定している組織が変性し、それに伴い腰椎の安定性が失われ、腰椎 にすべりが生じたものである。分離・すべりは、脊柱の下部にあり前傾しているために負荷がかかりやすい第5腰椎に好発する。 Ⅲ 仙腸関節障害 仙腸関節は、仙骨と腸骨が耳状面で連結し、靱帯により強固に連結されており可動性はほとんどない。しかし、靱帯の変性による破 壊、妊娠・分娩時のホルモン分泌の影響による靱帯の弛緩などにより固定が緩むと、関節の可動性を生じるため関節軟骨面に負荷がかかり、変性性変化を起こし やすくなる。仙腸関節の病変では、局所と殿部から大腿外側への放散痛を訴えることが多い。また、関節局所の圧痛や筋緊張がみられる。一般に出産後の腰痛の 原因として仙腸関節障害が多いと言われているが、性別を問わず、どの年代においても腰痛の原因になりうる。X線やMRIなどの画像検査で仙腸関節障害の診 断を行うのは困難である。診断の際に重要となるのは、徒手検査と自覚症状である。仙腸関節の痛みを検出する検査としては、骨盤の一部を圧迫して仙腸関節に ストレスを加えるニュートンテストや股関節を過屈曲・過伸展させて仙腸関節に回旋力を加え、痛みを誘発または増強させるゲンスレンテストなどがある。ま た、患者の示指で痛みの部位を示してもらうワンフィンガーテストが有用である。 Ⅳ 症例 1 初診時の状況 1.基本情報 40歳代、女性、主婦、身長:165cm、体重:57kg 2.主訴 腰殿部痛 3.現症 15年前に出産してから腰殿部の痛みを感じるようになり、整形外科を受診したが特に異常はないと言われた。それ以来、慢性的な腰痛があり寛解と増悪を繰 り返している。症状が増悪したときには湿布を貼ったり鎮痛剤を飲んだりしていた。昨年の11月中旬に腰が押しつぶされるような痛みがあり、整形外科を受診したところ、腰椎すべり症(L5)と診断された。電気治療や牽引療法を受けたが効果は感じられなかった。 4.自覚症状 痛みの性質は、ズーン、ドーンという重く鈍い感じ。台所仕事などで長時間同じ姿勢を続けたり、重い物を持ったりすると増悪する。腰を反らす、屈む、靴下 をはくなどの動作が特につらい。走ると仙骨の辺りにひびく。痛みは朝より夕方の法がつらい(一番痛いときを10とすると初診時の痛みは3)。横になると楽 になる。下肢のしびれや痛みはない。 主訴の他、頸、肩のこり。 5.他覚症状 アライメント:平背、下部腰椎右側弯 筋緊張:僧帽筋上部線維、肩甲挙筋、多裂筋、腰方形筋 圧痛:腰陽関、上仙、小腸兪、膀胱兪 ニュートンテスト陰性(仙腸関節部に違和感あり) 6.既往歴 42歳 腰椎すべり症 2 病態の考察 この患者は、慢性的な腰殿部痛があるが、数か月前に症状が増悪し整形外科で腰椎すべり症と診断されている。また、ニュートンテストは陰性だったが、仙腸 関節部の違和感があり、ワンフィンガーテストで仙腸関節部(小腸兪付近)を示していた。このことから、本症例は腰椎すべり症と同時に仙腸関節障害の可能性 もあると考えた。 3 治療法・経過 令和2年1月15日から2月19日までの5回の治療経過について報告する。 1.1回目:令和2年1月15日 腰殿部の鎮痛と頸肩部の筋緊張緩和を目的に以下の治療を行った。 ホットパック:頸肩部、腰殿部 鍼:腰陽関、小腸兪(寸6-1、置鍼 10分) あん摩:全身(側臥位) キネシオテーピング:多裂筋 治療後は、体幹後屈時の、腰殿部の痛みが軽減した。痛みが軽いときに、腰椎を安定させる目的で腹横筋のトレーニングや柔軟性を向上させる目的でラジオ体操などを行うようアドバイスした。 2.2回目:令和2年1月22日 前回治療後、翌日までは痛みがなかったが、2日後から痛みが出始め、1月21日は右腰殿部の痛みが非常に強く、特に重い扉を開けるのがつらかったと話していた(数字で表すと8)。この日の痛みは2。特に寝返りをうつのがつらい。 他覚症状は、前回と同様であった。 治療は前回と同様に行った。体位変換時は、腰椎を安定させるため下腹部に力を入れるようアドバイスした。 治療直後は特に変化なし。 3.3回目:令和2年1月29日 前回治療を受けた翌日(1月23日)は、腰の痛みが非常に強かった(数字で表すと8)。数日前からラジオ体操を始めたが、体をねじる運動や回す運動で は、痛みのため動きが小さくなってしまう。痛みの部位が殿部から腰部に移動しており、志室の辺りが痛い。23日以外の痛みの度合いは強いときで5だった。 他覚症状は、前回とほぼ同様だが、腰方形筋の緊張が特に強かった。また、腰眼に圧痛がみられた。 治療は、小腸兪の鍼を中止し、志室と腰眼に鍼を追加した。それ以外は前回と同様に行った。 治療中や治療後の体位変換時の痛みは前回より軽快し、動きも素早くなった。 これまで忘れていたが、昨年の11月中旬、1日に2回滑って転んだとのこと。 これが「腰が押しつぶされるような痛み」が出る前だったか後だったかは覚えていない。 4.4回目:令和2年2月5日 前回治療後2~3日は調子が良かった。痛みの程度は数字で表すと1くらいで、やはり最初の治療の頃と比べると痛みが上に移動しているとのこと。特に右側 の骨盤の際(腰眼の辺り)になんとも言えない感じがする。ズキズキ痛いわけではないが、嫌な感じがいつもあり、それは重い物を持ったときや長時間の歩行で 増悪する。体幹の回旋で左腰に、しゃがむ動作で両方の腰に痛みが出現する。ラジオ体操は毎朝しており、初めはピアノのリズムについていけなかったが、この 頃はリズムに合わせて動けるようになってきた。 他覚症状は、前回に加えて頭半棘筋、中殿筋、前脛骨筋の筋緊張があり、圧痛が腰眼、殿点、殿圧にみられた。 治療は、腰陽関と腰眼に置鍼し、かゆみが出たためキネシオテーピングを中止した以外は前回と同様に行った。 治療直後は特に変化なし。患者からは、少しずつ良くなっているようなので、治療を受ける頻度を2週間に一度にして様子をみたいと話があった。 5.5回目:令和2年2月19日 最近はとても調子が良い。2~3日前に痛みを感じることがあったが、数字で表すと2で、気になるほどでなかった。日常生活において困ることはほとんどな く、普段の痛みを数字で表すと1かそれ以下ということであった。お米などの重い荷物もリュックに入れてなんとか運べるようになり、長時間の台所仕事の後 も、少し座って休めば回復するようになった。 ラジオ体操と腹横筋のトレーニングは続けている。体をねじる運動で体を右にねじると左の腰が痛くなるが、それほどつらくない。治療開始当初はできなかっ た整形外科で教えてもらった仰臥位で膝を立ててお尻を上げるトレーニングもできるようになった。体操の効果もあってか、頸、肩こりも楽になった。 治療は、前回と同様に行った。施術中の体位変換もスムーズで、下腹部に力を入れなくても楽にできるようになっていた。 治療直後は、自覚的な変化はないが、以前と比較すると歩行姿勢がよくなり、足取りがしっかりしていた。 Ⅴ 考察・今後の課題 治療開始から1か月余りで症状はかなり軽快した。時間の経過とともに自然に軽快した可能性もあるが、理療治療により鎮痛効果が得られ、腹横筋のトレーニングで腰椎の安定性が増し、体操により筋が柔軟になったのではないかと考えられる。 今後も再発予防のためにトレーニングや体操を続けることは非常に重要であるが、無理をして、かえって症状を増悪させないように注意しなければならない。患者は様子をみながら2~3週間に1度治療を受けたいと話していたので、引き続き経過を観察したい。 Ⅵ おわりに 患者は当初「このまま腰が治らなかったらどうしよう。」と不安を抱えていた。しかし、受け身ではなく、「自分でできることはなんでも試してみたい」とい う強い気持ちがあった。施術者のアドバイスを患者が受け入れ、続けてくれていることは施術者として大変嬉しいことである。朝の体操は良い習慣になりつつあ り、「体操をすることで、目覚めが良くなり、体を動かしやすくなった。これからもトレーニングや体操を続けていきたい。」と話していた。 今回の治療を通して、施術者ができるのは、症状が少しでも良くなるようにお手伝いをすることで、一番大切なのは、患者本人の治りたいという気持ちなのだ と改めて思った。来院するごとに患者の表情がどんどん明るくなり笑顔が増えてきている。治療の技術はもちろんだが、患者自身が自宅で気軽に行えるセルフケ アについても、適切なアドバイスができるように知識を深めていきたい。 《引用・参考文献》 1)松本勅、現代鍼灸臨床の実際 改訂第2版、医歯薬出版株式会社、2009 2)松野丈夫ほか、標準整形外科学 第12版、医学書院、2014 3)日本仙腸関節研究会ホームページ http://www.sentyo-kansetsu.com 4)三浦雄一郎、体幹筋機能の研究と慢性腰痛症の運動療法、関西理学1:7-13、2001 5)菅谷知明ら、腹横筋トレーニングが脊柱アライメントに及ぼす影響、Vol.38 Suppl. No.2(第46回 日本理学療法学術大会 抄録集)、2011 症例報告集へ戻る ホームへ戻る |