胸郭出口症候群に末梢動脈疾患の合併を疑う一症例  羽立 祐人



Ⅰ はじめに
 上肢の運動や感覚を支配する腕神経叢(C5~C8 神経および Th1 神経から構成 される)と鎖骨下動脈は、前斜角筋と中斜角筋の間、肋鎖間隙、小胸筋の肩甲骨 烏口突起停止部の後方を走行するが、それぞれの部位で圧迫・牽引されることで 上肢痛、上肢のしびれなどをはじめ、頭痛、めまい、不眠など多彩な症状を呈す る。これを総称して胸郭出口症候群(以下、TOS)という。
 TOS は、鍼灸の臨床や理療教育の場においてアレンテスト、ライトテストなど の脈管テストを含めた病態が比較的理解されている疾患である。
 しかし、以前まで積極的に行われてきたこれらの脈管テストは健常者や手根 管症候群などでも偽陽性率が高く、有用性は低いと考えられている。
 医療現場においては、訴える症状が多彩で、確立した診断基準がないことから、 自信を持って診断を下すのは難しい。症状が頸から肩、上肢にかけてのしびれや 痛みに加え、時に冷感や浮腫、嘔気、頭痛などの自律神経症状を呈し、画像所見 においても決め手となる所見が得られにくく病態を把握しにくい。専門医の中 には、TOS の積極的な診察を敬遠する者も少なくない。
 一方、末梢動脈疾患(以下 PAD)は、四肢の末梢動脈が狭窄または閉塞するこ とで痛みや冷感、しびれを起こす疾患である。有病率は、年齢と共に増加し、そ の約 75%が無症候性である。PAD は生活習慣病と極めて関連が深く、主要な危 険因子として年齢(40 歳以上)、喫煙、糖尿病が最も重要視されている。PAD は 下肢の問題にとどまらず、その存在は全身の動脈硬化の進展が示唆され、冠動脈 疾患、脳血管疾患がそれぞれ約 50%、30%に合併する。PAD 患者の予後はきわめ て悪く、重症下肢虚血の患者を除いても5年死亡率が 15~30%にも達する。
 また、腰部脊柱管狭窄症の 6.7%に末梢動脈疾患が合併しているとの報告もあ り、TOS との合併に関する報告はないが、決して稀ではないことが示唆される。
 TOS や PAD に対する鍼灸治療の効果に関しては、いくつかの臨床研究により一 定の効果があると実証されている。しかし、症状の進行度や一部の症状には、鍼 灸治療に対して抵抗性を示すものも多く、治療の適否や有効かの見極めが鍵と なる。
 本稿では、TOS の臨床症状から診察までを改めて確認し、当センター臨床での 一症例から、隠れた病態と理療治療の効果について考察した。


Ⅱ TOS 各論症例
1 病態・原因
 胸郭出口には、生理的な狭窄部位が3カ所(斜角筋隙、肋鎖間隙、小胸筋下間 隙)存在し、ここを腕神経叢や鎖骨下動静脈が走行している。ここに解剖学的構 造の変化などで圧迫、牽引などの種々の機械的刺激が加わることにより腕神経 叢の過敏状態を引き起こしたり、鎖骨下動脈の虚血を引き起こす。
 斜角筋隙は、前斜角筋、中斜角筋、第1肋骨により形成される。その間隙を腕 神経叢と鎖骨下動脈が走行する。鎖骨下静脈は前斜角筋の前を走行するため、斜 角筋隙は走行しない。
 肋鎖間隙は鎖骨および鎖骨下筋、第1肋骨および前・中斜角筋停止部により形 成される。小胸筋下間隙は烏口突起下3cm のところに位置し、小胸筋停止腱、 前鋸筋および上位肋骨、肩甲下筋により形成される。
 腕神経叢は交感神経線維を含むため、TOS で認められる冷感や浮腫は、鎖骨下 動脈の圧迫だけでなく、交感神経の障害による末梢血管の循環障害も原因の一 つとして考えられる。
 TOS の要因は解剖学的要因と生活環境による要因とがある。
  解剖学的要因としては、頸肋の存在や斜角筋の異常(斜角筋の腕神経叢への介 在、前・中斜角筋との癒合)、第1肋骨の異常(第2肋骨との癒合、頭側への偏 位)などがある。
 生活環境による要因では、デスクワークで不良姿勢が長く続くと、前・中斜角 筋が緊張し、第1肋骨が引き上げられることで、斜角筋隙が狭くなる。
 なで肩の場合、肩甲骨が下降し、鎖骨は外側に向かって下制した状態となるた め、肋鎖間隙は狭小化し、神経が圧迫されやすくなる。

2 分類
 TOS は、血管性 TOS、神経性 TOS、議論のある TOS に分類される。
 はっきりとした所見が得られる血管性 TOS と神経性 TOS はまれな疾患であり、 大半は議論のある TOS である。
 議論のある TOS は、上肢、頸肩背部の痛み、肩こり、上肢のしびれ、冷感、浮 腫など多彩な局所症状のほか、頭痛、嘔気、全身倦怠感などの不定愁訴や抑うつ などの精神症状などを伴うことが多い。議論のある TOS は他覚的所見に乏しく、 血管性なのか、神経性なのか、混合なのかという点も含めて、その機序は未だ不 明である。
 また、TOS は腕神経叢の障害形態により、圧迫型と牽引型とに分けることもあ る。

3 症状
 TOS は症状が多彩で時に不定愁訴を呈するが、共通した症状を訴えることも多 い。
(1) 頭部、全身症状
 微熱、全身倦怠感、嘔気、頭痛、めまい
(2) 頸部の症状
 疼痛、可動域制限、表在静脈の怒張
(3) 上肢の症状
 疼痛、しびれ、冷感、肩挙上困難、脱力感、ふるえ、こわばり、皮膚色調変化、 発汗異常
(4) 体幹の症状
 前胸部・肩甲間部の疼痛

4 診断・診察
 前述したように大半の TOS は他覚的所見に乏しいため、問診や理学的検査を 参考にし、鑑別診断を進めていく。
 鑑別すべき疾患として、頸椎神経根症、頸椎脊髄症、肩関節疾患、絞扼性末梢 神経障害(肘部管症候群、手根管症候群)、パンコースト症候群などが挙げられ る。
(1) 頸椎の可動域制限:頸部の伸展は、斜角筋も伸展されるため、制限や疼痛を 伴うことがある。
(2) 牽引テスト:上肢を下方に牽引し、頸部を健側に伸展、回旋させる。
(3) モーレイテスト:鎖骨上窩での腕神経叢圧迫性神経炎をみるテストである。
 このテストでは的確に神経叢の部位を圧迫することが重要となる。
 検者は一方の手で橈骨動脈の拍動を触知しながら、他方の母指で鎖骨上窩を インチングしていき、橈骨動脈の拍動が消失する場所が鎖骨下動脈の部位であ る。その圧迫部位から外方にずらすと再び拍動が触知できる。そこが腕神経叢の 部位である。神経の圧迫により過敏となっている場合は、健側と比較すると差が はっきりする。
(4) ルーズ3分間挙上テスト:肩関節を 90 度外転・外旋、肘関節 90 度屈曲、前 腕回内の姿勢で手指をゆっくりグーパーさせて症状が誘発すれば陽性。肋鎖 間隙での圧迫を疑う。
 実際は1分間程度行い、症状が再現されるかどうかを診る。30 秒程度で症状 が誘発されれば重度である。

【参考1】熊本大学整形外科による TOS の診断基準
(1) 腕神経叢圧迫型
ア.肩甲背部から上肢にかけての神経、血管圧迫状態が存在し、長時間持続する か反復性である。
イ.アドソン、ライト、エデンの少なくとも1つはレーザードップラー上で陽性 であり、症状の再現が認められる。
ウ.モーレイテストが陽性である。
エ.ルーズ3分間挙上テストが陽性である。
(2) 腕神経叢牽引型
ア.肩甲背部から上肢にかけての神経、血管牽引状態が存在し、長時間持続する か反復性である。
イ.上肢下方牽引により症状が誘発され、肩甲帯の挙上保持により症状が改善す る。
ウ.斜角筋三角上方部で圧痛や上肢から手指、背部への放散痛が認められる。


Ⅲ 胸郭出口症候群に末梢動脈疾患の合併を疑う一症例
1 患者プロフィール
 初診日 令和2年7月7日
 50 代 男性 介護職
 身長 174cm 体重 85kg BMI28.1(肥満度1)
 嗜好 喫煙

2 現症
 主訴 右上肢のしびれと痛み
 症状は2年ほど前から自覚している。特に思い当たる原因はない。仕事で上肢 をよく動かすと症状が出現・増悪する。整形外科は未受診、近所の整骨院は通っ ていたが、症状の改善がみられなかったため来所した。令和2年に実施した職場 の定期健康診断では、高コレステロール血症の指摘を受けているが、循環器科へ は未受診である。
 上肢のしびれは上腕の外側から前腕の外側にかけて感じている。重い物を持 つ作業等で症状が発現・増悪する。
 主訴の他、頭痛、ふくらはぎの痛みがある。
 他覚所見では、右の斜角筋が緊張、右モーレイテストが陽性、スパーリングテ スト陰性である。
 治療は令和2年7月から令和3年5月まで全 18 回行った。

3 既往歴
 10 代 片頭痛
 20 代 腰部椎間板ヘルニア

4 経過
 初回の治療は、頸肩背部の置鍼にとどめて、軽微な刺激での筋内循環と鎮痛を 図った。
 2回目の治療からは、肩甲骨に付着する筋を中心に低周波鍼通電療法を行っ た。
 低周波鍼通電療法は、僧帽筋上部線維-菱形筋、僧帽筋下部線維-大円筋を結 び1Hz で 20 分通電した。
 その他の治療としては、頭痛に対して後頭下筋群への置鍼、右上肢のしびれが 強い箇所を中心に円皮鍼を4~5枚貼付した。
 ふくらはぎの痛みに対しては、筋内循環改善や筋緊張緩和を目的とした腓腹 筋の揉捏法や軽擦法、ストレッチを行った。
 運動療法では、姿勢の矯正を目的とした大胸筋のストレッチや斜角筋の筋緊 張緩和を目的とした斜角筋に対する ASTER を行った。
 4回目の治療あたりから明らかな症状の改善がみられた。治療間隔は約2週 間から3週間とり、その間の症状の著しい増悪はみられなかった。
 ふくらはぎの痛みは、寛解・増悪を繰り返しており、PAD の疑いもあるため(後 述)、循環器科の受診を勧めている。

【参考】斜角筋に対する ASTER
(1) 背臥位とし、患側の斜角筋停止部を下肢の方向に向けて圧迫する。
(2) 他方の手で後頭部を把持してゆっくり頭部を伸展・健側に回旋させる。
(3) 30 秒×3セット行う。肩甲間部の下に折りたたんだタオルを入れると頸部 を伸展しやすい。

5 考察
 本症例の患者は、モーレイテストが陽性であること、問診により上肢を使う軽 作業等により、症状が発現・増悪すること、スパーリングテスト陰性であり頸椎 症が除外できることなどから、TOS の疑いが強いと推察される。さらに熊本大学 整形外科による TOS の診断基準に照らし合わせると腕神経叢圧迫型に近い所見 がみられることから、筋や腱、靱帯などの軟部組織により、腕神経叢や鎖骨下動 脈が圧迫されていることで症状が発現していると推察できる。圧迫部位に関し ては、モーレイテストが陽性であることから斜角筋貫通部の疑いが強いが、特定 するのは困難である。
 また、その他の症状でみられるふくらはぎの痛みは運動時に増悪するため、 PAD を疑い、診察時に足関節と上腕の血圧を測定し簡易的な ABI 検査を行った。 結果、足関節の血圧が上肢の血圧よりも低い値となり、PAD を疑う所見がみられ た。
 PAD では、手足の血管の動脈硬化により、血管が狭窄または閉塞を起こして血 36 液の流れが悪くなり、手先や足先への栄養や酸素を十分に送り届けることがで きなくなる疾患である。間欠跛行は、PAD の代表的な症状のひとつであるように 下肢の症状が注目される傾向にあるが、上肢にも痛みや冷感などの TOS と似た ような症状が起こる。本症例の患者も上下肢をよく動かしたときに症状が増悪 することなど、下肢においても PAD の特徴と一致する所見がみられた。
 ABI 検査とは、足関節:上腕血圧比検査のことである。足関節と上腕の血圧を 測定し、その比率(足関節収縮期血圧÷上腕収縮期血圧)を割り出す。これによ り上下肢の動脈などの比較的太い動脈の狭窄や閉塞の有無を推測できる。健常 者では、上腕より足関節の方がやや高い値になるが、動脈の閉塞が起こっている と上腕より低い値となる。
 ABI 検査は、主に下肢の動脈硬化をみる検査であるが、上肢の動脈にも狭窄・ 閉塞が起こっている可能性は否定できない。
 治療では、主に上肢帯の筋を中心に低周波鍼通電療法を行ったところ、数回の 治療で症状の明らかな軽減がみられた。
 これは低周波鍼通電療法の電気刺激により筋内循環が改善し、症状の緩和に 繋がったと考えられ、TOS の病態に加えて末梢動脈疾患を合併していることの可 能性を示唆する。
 前述したように TOS は、養成学校等で理学的徒手検査法を含めた病態が概ね 理解されている疾患である。
 しかし、実際は、教科書のようにひとつの筋が緊張することで神経を圧迫して いるという単純な問題ではなく、様々な要因が背景として存在する。病態を明ら かにするには、主訴だけにとらわれることなく、姿勢や随伴症状などをよく確認 し、さらに既往歴や職業、生活環境などから隠れた要因を探る必要がある。
 原因が明らかになればアプローチも自ずと見えてくるだろう。

 《引用・参考文献》
1) 矢野 忠:鍼灸療法技術ガイドⅠ、文光堂、2012
2) The Guarantors of Brain:末梢神経と筋のみかた、診断と治療社、2021
3) 内田 輝和:胸郭出口症候群を自分で治す!、主婦の友社、2021
4)  医道の日本、2009 年5月、医道の日本社
5)  医道の日本、2012 年4月、医道の日本社
6)  ペインクリニック、真興交易(株)医書出版部、2015 年8月
7)  ペインクリニック、真興交易(株)医書出版部、2019 年6月
8)  安野 富美子、閉塞性動脈硬化症に対する鍼通電療法の実際、日本東洋医学系 物理療法学会誌 42 巻2号、201


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