ばね指に対する理療治療の一症例  古川 美奈


Ⅰ はじめに
 ばね指は手の屈筋腱の腱鞘炎である。腱や腱鞘の肥厚性炎症により腱の通路に狭窄が起こり、腱の滑りが悪くなる。更年期や周産期の女性、また、パソコン操作や楽器の演奏など手先を多く使う仕事の人にもみられる。母指に起こることが最も多く全体の約半数を占めるが、どの指でも起こりうる。今回は左母指の痛みと運動障害を主訴とする症例について報告する。


Ⅱ 症例
 1 患者のプロフィール
 (1)基本情報
  70歳代、女性、主婦、身長:144cm、体重:40kg

 (2)主訴
  左母指の痛みと運動障害

 (3)現症(平成29年8月24日時点)
 6月中旬から左母指を動かしにくくなり、整形外科を受診したところばね指と診断された。湿布薬を処方され、ステロイド注射による治療を1回受けたがあまり変化はない。就寝時、患部に湿布を貼ったり薬を塗ったりしている。

 (4)自覚症状
 左母指を曲げられない(右手で左母指をつかめば曲げられる)。そのため雑巾絞りや紐を結んだりほどいたりするのがつらい。また、左母指を反らすのもつらい。ここ1週間は動かすとカクカクという感じがして痛みもある。他、肩こり、腰痛。

 (5)他覚症状
  筋緊張:斜角筋、肩甲挙筋、腰部脊柱起立筋
  圧痛:手三里
  左母指MP関節掌側に小豆大の腫瘤

 (6)検査
  血圧:116/72mmHg(臥位・左)
  脈拍:89回/分

 (7)既往歴・家族歴・参考事項
  49歳 胃癌
  77歳 アレルギー性鼻炎、右母指のばね指(ステロイド注射による治療で軽快)
  月1回程度、教会でオルガンを演奏している。演奏時間は1時間程度だが、事前に1日数時間練習する。

 2 病態の考察
 前述のように、ばね指は手先を多く使う人に発症することが多い。この患者の場合はオルガンの演奏が発症に関係していると考えられる。

 3 治療法・経過
 平成29年8月24日から11月29日まで、週1回程度、計10回治療を行った。
 (1)1回目:平成29年8月24日
 左母指の鎮痛を目的に、左母指MP関節掌側と左陽渓を結んでTENS(使用機器:テクノリンク社製低周波治療器ラスパ-エース、刺激電極:日本光電製ビトロードP-150)を行った。刺激法は3Hzと50HzのMIXで10分間とした。この患者は鍼治療を受けたことがなかったため、鍼通電よりも刺激の少ないTENSを選択した。また、左手三里に寸3-1番鍼を10分間置鍼し、左手部・前腕部のマッサージを行った。肩こりと腰痛に対してはホットパックとあん摩を行った。治療後、肩こりは軽快したが、左母指に変化はみられなかった。

 (2)2回目:平成29年8月31日
 前回治療後、2~3日後に左母指MP関節掌側の腫瘤が少し小さくなった感じがしたが、今日は元に戻っているとのこと。施術者が確認したところ、腫瘤は前回同様小豆大で、左母指球に熱感があった。
 今回からは、前回の治療に加え、ばね指の特効穴として知られる膈兪と手三里にせんねん灸レギュラー各1壮を追加した。治療後、左母指に変化はみられなかった。

 (3)4回目:平成29年9月14日
 左母指の動きや痛みに劇的な変化はないが、左母指MP掌側の腫瘤は小さくなり、米粒大ほどになった。治療は2回目と同様に行った。

 (4)6回目:平成29年9月29日
 前日に整形外科でステロイド注射の治療を受け、朝から少し左母指を動かせるようになった。前日の夜は湿布や塗り薬を使っていない。患者は「前回ステロイドの治療を受けたときは変化がなかったが、今回は鍼灸の効果もあり、少し動かせるようになったのではないかと考えている。」と話していた。
 医師からは、「ステロイド注射による治療を行えるのはあと1回で、それで良くならなければ手術だ。」と言われている。
 今回からTENSは中止し、長母指屈筋の緊張緩和を目的として左孔最の下方2寸に1寸01番鍼を置鍼し、左母指を10~20回屈伸させる治療法に変更した。他の治療法はこれまでと同様に行った。7回目以降、治療法は変更していない。

 (5)8回目:平成29年11月1日
 左母指の痛みはあまり気にならず、ぐっと握りこむのは難しいが右手を使わなくても曲げることができる。左母指MP掌側の腫瘤は米粒大になった。就寝時、湿布は貼っている。他、肩こりと眼精疲労がある。

 (6)10回目:平成29年11月29日
 左母指については、湿布を貼って寝るのを忘れるほど調子が良く、患者は「すっかり良くなった。」と話していた。左母指MP掌側の腫瘤はほとんどみられない。他、肩こりが気になる。


Ⅲ 考察・今後の課題
 施術者の反省点としては、初診時に痛みのある局所にばかり気を取られて、適切な治療を行うことができなかったことが挙げられる。初診時から灸治療や長母指屈筋への刺鍼を始めていれば、ステロイド注射による治療を行う前に症状を少しでも改善することができていたかもしれない。
患者は、ステロイド注射と理療治療の相乗効果で主訴が改善したと話していたが、施術者としては、ステロイド注射の効果が大きいと考えている。今後、同様の症状を訴える患者が来所した場合は、初診時から適切な治療を行えるようにしたい。


Ⅳ おわりに
 この患者は、理療治療を受けた経験はなかったが、「手術をしないでばね指を治したい。」という気持ちから来所した。10回目の治療を始める前に、患者から「もう指の具合はすっかりいいようだし、冬は歩きにくいので、今日でしばらく治療は休みます。」と話があり、治療をひとまず終了した。それから約2ヶ月後に再度来所した時は、左母指MP掌側に米粒大の腫瘤があったが左母指の痛みはなく、動きにも問題はなかった。指よりも肩こりがつらいとのことだったが、10回目と同様の治療を行った。
 理療治療のみでは思うような治療効果は出せなかった。しかし、治療を重ねるうちに患者との信頼関係を築くことができ、患者に理療を身近に感じてもらうきっかけを作ることができたと考えている。


《引用・参考文献》
1.福島哲也 「深谷灸法による病気別症状別 灸治療~患者のからだに聞け~」緑書房 2001
2.松本勅 「現代鍼灸臨床の実際 改訂第2版」医歯薬出版株式会社 2009
3.似田敦 「ばね指の鍼灸治療Ver.1.2」 2016
4.「NHKきょうの健康」NHK出版 2016.6


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